2015年08月


わたしは現実派すぎて夢がない。
超クール。
冷たいと言われることがある。
何を言われるか、怖いときがある、とも。
核心を突きすぎて、鋭利で、思いやりや優しさがないんだろう。

「すべてを言ってしまっては、だめ」、と、最近は自分でセーブしている。

しかしながら???
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みなさん、現実直視の目が甘すぎる。
なんで、あんなに自分に良いよPretty renew 傳銷 に解釈するのだろう。
そっちのほうが不思議だ。

自分を卑下している人もいるが、それも自分への期待が強すぎるからだと思う。

自分への評価や期待値が高いあまり、それに追いつかない現状を見て、あっぷあっぷする。
営業マンが、高すぎるノルマに押しつぶされるかのごとく。

あるいは、卑下している自分を
「そんなことはないよ。あなたには、あなたの良さがある」と慰めてほしかったりする。
泣きながら薄目を開けて、誰かいないかな?と、まわりをきょろきょろ見ていることもある。

自分を持ち上げたり、落としたり。
やっかいな自己評価。

下げすぎて、嘆いてみても、一度しかない人生、
そんな自分で自分の首を絞めて、真っ暗にしても、つまらない。
上げてみたら?
ただし、上げすぎると、頑張りすぎたり、ついつい評価が気になったりする。
ボランティアのつもりが、善意の押劉芷欣醫生付けになったりする。

この、善意の押し付けほど、暑苦しく鬱陶しいものはない。
キラキラ光り輝くご本人には、まったく気付く風もないが。

自分そのものを、能力も含め、等身大に評価すると、省エネ人生を送ることになる。
はっきり言うと、楽です。

 

とあるSNSで、コラムを書いている人がいる。
その人が、文体でパーソナリティがわかる、と分析している記事があった。

人の文体を分析するのはいいが、分析されるほうは、良い気持ちはしない。
なぜなら、良い評価はしないし、絶対に褒めたりしない。
客観的で、あくまで韓國人蔘も冷静、冷徹。
人のことを分析するのはいいけれど、自分はどうなのよ、という気になる。
というか、わたしもよく、そういう分析をして記事にすることがあるが、
読んだ人の気持と、あまり愉快ではない。

人の振り見て我が振り直せというところ。
ちょっとした反面教師になった。

びしばし斬るのはいいが、落としどころがない。
斬ってしまって、それで終わりなら、たんなる批判になってしまう。
で、どうなの?と、結論、または提案が欲しいところだ。


わたしは、へんな文章も、奇妙な文体も、個性だと思っている。
文字が詰まって真っ黒けで、改行もしない、段落ごとに分けない、一字落とさない、そういう文章も、
その人の、ムキになりっぷり、取り組みっぷりが、よく現れている。
(わたしも、読みにくいから、読まないけれど)
書く人にとっては、読まれなくてもいいのではないだろうか。
書いた瞬間に、書く意義は果たされている。

商売、ビジネスではないのだから、読まれようが、読まれなかろうが、それでいい。
閲覧数が、営業成績? 利益にあたるのか?
わたしは、そんなものは、もういいと考える。

精神世界の話などは、興味をもって読まれることがある。
ちょっと哲学めいている。
しかしながら、「幸福感は、人それぞれ」などと言って、結論をファジーにしても、
個人によって、実際の社会における状況や環境、立場が違うのだから、
ひとりひとりの初中數學教學個人的悩みや、こころの渇きには、答えとしてはぴったり万能ではない。

読んで嫌な気になる、斬れすぎるものより、ユーモアあふれる、お笑いの記事は、なんだか、楽しい。

 

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