とあるSNSで、コラムを書いている人がいる。
その人が、文体でパーソナリティがわかる、と分析している記事があった。

人の文体を分析するのはいいが、分析されるほうは、良い気持ちはしない。
なぜなら、良い評価はしないし、絶対に褒めたりしない。
客観的で、あくまで韓國人蔘も冷静、冷徹。
人のことを分析するのはいいけれど、自分はどうなのよ、という気になる。
というか、わたしもよく、そういう分析をして記事にすることがあるが、
読んだ人の気持と、あまり愉快ではない。

人の振り見て我が振り直せというところ。
ちょっとした反面教師になった。

びしばし斬るのはいいが、落としどころがない。
斬ってしまって、それで終わりなら、たんなる批判になってしまう。
で、どうなの?と、結論、または提案が欲しいところだ。


わたしは、へんな文章も、奇妙な文体も、個性だと思っている。
文字が詰まって真っ黒けで、改行もしない、段落ごとに分けない、一字落とさない、そういう文章も、
その人の、ムキになりっぷり、取り組みっぷりが、よく現れている。
(わたしも、読みにくいから、読まないけれど)
書く人にとっては、読まれなくてもいいのではないだろうか。
書いた瞬間に、書く意義は果たされている。

商売、ビジネスではないのだから、読まれようが、読まれなかろうが、それでいい。
閲覧数が、営業成績? 利益にあたるのか?
わたしは、そんなものは、もういいと考える。

精神世界の話などは、興味をもって読まれることがある。
ちょっと哲学めいている。
しかしながら、「幸福感は、人それぞれ」などと言って、結論をファジーにしても、
個人によって、実際の社会における状況や環境、立場が違うのだから、
ひとりひとりの初中數學教學個人的悩みや、こころの渇きには、答えとしてはぴったり万能ではない。

読んで嫌な気になる、斬れすぎるものより、ユーモアあふれる、お笑いの記事は、なんだか、楽しい。